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お母さんごめんなさい

 フラクタル心理学を学ぶ講座の中で、『今の自分に必要な言葉を考える』というワークがありました。

 このワークは、今の自分に必要だと思う言葉について、口にすれば1分ほどの文章を作成します。そしてそれを繰り返し音読することで、文章にある言葉達を自分の心に染み込ませていくことが目的でした。

 心理学を学び始めて1年足らず、私は自分自身でも成長を感じられるほど、人生において濃密な時間を過ごすことができていました。

 夫もことあるごとに「本当にのりちゃんは変わったね。」と言ってくれていました。そして、その言葉を聞くと、私はとても嬉しく感じていました。

 文章を書くことが苦手だった私も、最近は、インスタグラムやホームページ作成を通して文章を書く機会が増えていたため、そのワークでも「最近は文章を書くことにも慣れてきたな〜」「今の私なら、1分の文章なんて楽勝ね。」と感じていました。

そうして出来上がった文章はフラクタル心理学の先生からも「良い文章ね。」とお墨付きをいただきました。私は良い文章を書けたこと、先生からお墨付きをいただいたことに大満足していました。

「私も大分心理学がわかってきたかな〜。」

鏡は見ていませんが、おそらくその時の私はすごいドヤ顔をしていたと思います。

 その後、先生に「出来上がった文章を何度も読んでみてね。」と言われ、講座が終わってから自分が作ったその文章を読み込んでいました。「いや〜ホントうまく書けたわ〜。」と、意気揚々と読んでいました。

 そしてその時、私はあることに気付いたんです。

「これ…お母さんが私に何度も何度も言ってくれてた言葉だ…」

 私はお金を払って、わざわざ時間を作って心理学を学び、私が子供だった頃から母が何度も何度も繰り返し言ってくれていた言葉にたどり着いたのです。

 私は膝から崩れ落ちました。それと同時に、心の底から涙が溢れるような感覚に包まれました。

「お母さんごめんなさい。」

「何度も何度も私に言ってくれていたのに

ずっと耳を傾けずにいてごめんなさい。」

「何もわかっていないのに反発ばかりしてごめんなさい。」

「そんなの言われなくてもわかってる。」

「お母さんは出来なかったかもしれないけど私にはできるもん。」

 このようにして、母が私を想って言ってくれていた言葉に反発し、ずっと反抗してきたことに気付きました。それだけではなく、心理学を教えてくれている先生や、夫の言葉にも同じように反発していたことに気付きました。

 何かを教えてくれる人、アドバイスをくれる人は、相手が受け取れるだけの分量を推し量り、言葉を選び伝えてくれるものです。「本当はこんなことやあんなことも伝えたいけど、今はこれだけ伝えよう。」そう思いやって伝えてくれている言葉。本当はもっと言いたいことがあるけれど、全ては言わないでいる言葉。そんな想いの詰まった言葉を素直に受け取らず、私は反発し続けてきたんです。

 わかっているつもりでした。でも、私は何もわかっていませんでした。

 そのことに気付いて1週間程経った頃、チャイルドセラピーの師匠にこの出来事を話すと、「自分に絶望したのね。」とのこと。

 あぁ、この気持ちって絶望なのか…。悲しいというか、申し訳ないというか、情けないというか、恥ずかしいというか、何とも表現し難い想い。様々な感情が複雑に、また一気に押し寄せてどうすれば良いか分からない感覚。今まで気付いていなかった、受け取れていなかった親の愛情や、人からもらっていた思いやりにふれ、涙がとまらない状態。

 このことに気付いてからというもの、毎日ことあるごとに涙が止まらなくなりました。歌の歌詞だったり、子どもたちの会話だったり、夫の言葉だったり。何気ない言葉に感情が反応し、もう、涙腺崩壊です。

 ついこの間まで、心理学を分かった気でいた私、意気揚々とドヤ顔していた私は、まるでしぼんだ風船のようでした。でも、師匠が笑って言ってくれるんです。

「あるある、そういう時。絶望感。うん、良い状態よ。」

 涙腺崩壊して、どこでも泣いてしまって困るんですけど(笑)それでも自分自身、今の私の方が以前の私より好きだなと感じます。肩肘張った生き方に、私は疲れていたんだと思います。

 だから、私が望む人生を生きるために、私が私を愛するために、これも大切なプロセスの1つと捉えて、もうしばらく「しぼんだ風船」でいようと思います。

 そして、「一度しぼんだんだから、次はもっと膨らんでやる!」という熱い思いを胸に、また少しずつ出来ることから頑張っていこうと思います。

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