「完璧な人はいない。」と言われたら、「そうそう」と思います。でも、自分自身の発する言葉を振り返ると、それってつまり完璧を求めていることじゃない?と思うことがありました。
「仕事もバリバリできて、子育てに余裕があって、いつもご機嫌で笑顔の妻、女性として綺麗で輝いてる。」このような女性を私は完璧な女性だと位置付けて、憧れていました。
完璧な人になれば、みんなから大切にされて、馬鹿にされることもなく、弱い立場に立つこともないと思ったから。
私は馬鹿にされたり、弱い立場に立たされる状況を想像するととても辛く、そうならないように努力していました。まるで、完璧になればすべてがうまくいくと言わんばかりでした。そんな生き方を続けていた時に心理学を学び、今までにない考え方を手に入れました。そして、新しい視点で、このことを今一度考えてみたんです。
「完璧な人はいないけれど、もし仮にいたとしたら?」
隙がなくて、周りの人は近寄りがたく、孤独を感じることもあるかもしれない。何でもメリットとデメリットはあるものです。
今まで嫌だと思っていたことにもメリットはあるように、完璧になれば万事オッケーということはなく、デメリットはどの要素にも等しくあるのだと、改めて認識することができました。私は馬鹿にされたくない、弱い立場に立ちたくないと思い、安易に完璧を求めましたが、孤独になってもいいのかと言われたら、そんなことはありません。
つまり、私の真に求めることは「完璧になること」ではないということに気付きました。私がすべきことは、なぜ馬鹿にされたくない、弱い立場に立ちたくないと思ったの?という、完璧になりたいと思った原因の方を掘り下げることです。
そこに向き合わずに、仮に完璧な人間になれたとしても、私の幸せはそこには無く、後でこんなはずじゃなかったと言っても意味がありません。
完璧な人なんていないのに、まるで完璧を求めるかのような生き方はとても疲れるし、結局私が幸せになることができないのなら、何のためにそれを求めたのかわからなくなります。新しい視点で物事を見始めた、そんな時、夫から言われた言葉で、完璧を求める気持ちを本当に手放そうと心から思うことができました。
「のりちゃんのこと、完璧だから好きなんじゃない。正直、誰よりも不完全やん(笑)でも不完全だからこその美しさがあるし、結局、自然体が一番良いと思うよ。」
うわー、心に響いた。嬉しい。ありがとう。でもさ…めっちゃバレたってこと?自分を装ってまで完璧を目指してたのに、誰よりも不完全って。私は何のために頑張っていたのよ。
バレてないと思っているのは本人だけ。
あぁ、子どもが親に嘘をついているみたいな感じか…
「バレないとでも思ってるの?バレバレよ!」子どもにいつも言っている言葉が、速攻で自分に返ってきた気分。
心が痛い…
ばかばかしくなって、やっと手放すことができた無理な要求。
無理をするより、本来の自分を生きよう。
装ったって、無理したって、自分が幸せを感じられないんじゃ意味がない。
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